プロフィール
◆活動再開のお知らせ◆
くらやみダンスは、
このたび劇団活動を再開しました。
2020年春、3年ぶりの新作本公演を行います。
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くらやみダンスは、
このたび劇団活動を再開しました。
2020年春、3年ぶりの新作本公演を行います。
くらやみダンス #8
『くらやみダンスに負けた話』
— 活動再開によせて —
去る、三月半ば。早稲田の小料理屋に集まったぼくたちは、和やかな杯を酌み交わしていました。
くらやみダンスの劇団員が揃って顔を合わせるのはちょうど二年ぶりのこと。軽快に弾む思い出話を肴に、心なしか濃いウーロンハイが進みます。
当たり障りのない近況報告に始まって、仕事の話や料理の話、最近見た映画の話。向かいの席で神山さんは舐めるようにメニューを見ながら、早くも日本酒の品定めを始めました。最初の乾杯からまだ二十分も経っていないころです。
変わらないなあとか、変わっちゃったなあとか、くだらない慣用句を並べながら「久しぶり」に埋め尽くされた時間は流れて過去へ、過去へ、過去へ……思いのほかまわりの早いアルコールに煽られて、ぼくの思索は過去へ過去へと潜っていきます。
二年前。劇団の活動休止を決めていたぼくたちは最後に、大阪・東京・福井の三都市ツアーを敢行しました(大変だった!)
ツアー最後の地である福井県小浜市、大千秋楽を終えた劇場の楽屋で、舞台から戻ってきた一同は逡巡を隠し切れない面持ちで言葉を交わし……みたいな光景を想像していたのですが、実際は違いました。
諸々を終えてぼくが楽屋に戻ると、そこにはもう、劇団員たちの姿はありません。
流れ解散。
恐ろしいことです。身に余る万雷の拍手で送られた「くらやみダンス最後の瞬間」に、あろうことかぼくたちは流れ解散していたのです。
思い出しました。必死でスケジュールを管理してくれていた舞台監督カズくんの、稀に見る敗北の顔。持ち帰る荷物の分担で揉める吉田裕太と金子美咲、それを察して姿を消した堀紗織、遠巻きに呆れる照明の緒方くん。神山慎太郎はとっくに地元の飲み屋へ繰り出しています。舞台監督カズくんの敗北の顔。
かくして劇団は、その短くてままならない歴史に幕を下ろしたのです。
思えば、絶望的なまでに協調性を欠いていました。
会議をしようと言ってもなぜか必ず過半数は欠席する劇団員たちが、全員で直接顔を合わせたのはぼくの記憶の限り二回だけです。
一回目はSAFで最優秀賞をもらった数日後。今後の予定を話し合うはずが、最終的に当時流行っていたシン・ゴジラの話題で盛り上がったのを覚えています(五人の中で唯一まだ映画を見ていなかった堀が話についていけず、終始「ゴジラは敵なのか味方なのか」聞いていました)
もう一回はその年の年末。吉田くんの家で、三都市ツアーとその後について話すために集まったときです。
狭いくせになぜか暖房の効かないワンルームで五人、肩寄せ合って異常に水気の少ない鍋をつつきながら今夜もぼくたちの言葉は噛み合いません。
テレビではちょうどスマスマの最終回が流れていて、くらやみダンスと同じ五人組の、でもぼくたちとはあまりにかけ離れた景色と時間を経てきたであろう国民的アイドルが終わりを迎えるその瞬間に、視界不良な自分たちの近未来をこっそり重ね合わせているのはぼくだけでしょうか。ぼくだけですかね。
それはままならない時間でした。やりたいこともやれることも、やらなきゃいけないことも、あらゆることがこの、ままならなさに溶かされていく。もどかしくて叫んじゃいそうでした。最後の方は本当に叫んじゃって、そしたら珍しくみんなに心配されて、「一回病院行ったら?」とか言われて、「いや、そうじゃねえんだよ!」ってさらに叫んだら今度は「はいはい」って受け流されて。
本当はもっと話さないといけないことがあるのに―――予算は?広報はどうする?どんな舞台だとワクワクするかな?―――話したいことがもっとあるのに、そんな言葉のひとつひとつが伝わらなくて、今日もままならなさに溶けて曖昧になる。
決して殴り合いの喧嘩ではありません。会えばみんな笑顔で、くだらない冗談を言ってふざけ合うんです。ふざけ合いながらしかし、すれ違いざまに細い針でチクッと一刺し、誰もそんなこと望んではいないのに、肌と肌が触れ合えば自ずと相手を傷つけてしまう哀しきモンスターの性、みたいな劇団でした。なんだそれは。
結論の出ない議論は空転し、冷めた鍋はもはや完全に水分を失っています。
「……まあ、とりあえず、あとは臨機応変にってことで」
ほつれた糸を切るように誰かが言って、会議はあっけなくお開きになりました。それ以降はもう、具体的な話はしていません。
年が明けて稽古が始まり、案の定ぼくの脚本の筆は進まず、案の定役者たちは稽古場に来ず、案の定、お互いの疑心暗鬼は深まって……これは今だから言えるだけですが、ただただ不安でした。
みんな本当は劇団なんてやりたくないんじゃないか。不安は尽きず、それがまた空虚な火種を生みました。ああ、もうやめた方がみんな幸せなんだなと、ぼくは自分に言い聞かせることに決めました。そして、流れ解散。
ツアーを終えて福井から戻ってきた高田馬場駅でぼくは、現地での取材用に持参していた劇団の資料一式をごみ箱に捨てました。なんか映画みたいだなと思いながら脳内にセルフでエンドロールを流し、それっぽい気分に浸って帰ったのを覚えています。
(でも皮肉(?)なことに、このときやった作品自体はけっこう好きで、くらやみダンスの芝居の中ではいちばん面白くなったんじゃないかなと思ってます。そこはホント、感謝してます)
以上が二年前です。たった二年なんて、大仰に語るのが恥ずかしいくらいちょっとした時間ですが、でもぼくにとってこの二年は特別でした。悔しいけど、劇団をやっていたときよりもやめてからの方がより強く「劇団」というものを意識していました。
俺は負けた。くらやみダンスという、自分の中で勝手に作り上げた虚像に勝手に負けたんだ。そう思ってまた勝手に情けなくなるなどしました。
ほかの四人は、なにを思いながら毎日を過ごしていたのでしょうか。ぼくにはわかりません。
特になにも考えてなかったのか、むしろ清々していたのか、いやまじで劇団のことなんてなにも考えてなかったのか。微塵もわかる気がしません。
たぶん聞いてもおしえてくれないでしょうし、そういうことをいちいち語り合うのは野暮だとも思います。この文章も本来なら野暮です。野暮中の野暮です。でもどれだけ野暮な言葉でも、言わなければ伝わらない。
人生の教科書の2ページ目には載っていそうなくらい当たり前の道理ですが、これに気がつくまで約二十四年かかりました。せめて太字で書いておいてくれればよかったのにと思います。
もちろん、言っても伝わらないことは多いし、なんなら言葉にすればするほど意味や意図は遠ざかっていく気もするけれど、それでも、雰囲気だけでは自分のまわりの世界は少しも揺らがないと知りました。
そのきっかけは、風の噂で聞いた劇団員たちの言葉です。
「本当はやめるべきじゃなかったな」「残念だったな」「でも仕方なかったな」「もう昔の話だしね」……そんな枯れ葉みたいな言葉を語っているらしいと人づてに耳にして、ぼくはとても驚きました。
なんというか、なんだそりゃ!!な気持ちです。あのとき言ってくれればよかったのに!!!
みんなの気持ちを知りたいと思い、去年の年末から少しずつ飲みに誘うなどしてひとりひとりと会いました。
個人的に「巡礼」と呼んでいたこの会で、それぞれと空中戦のような会話を交わすうちになんとなく、気づけばみんなで会うことになっていました。大事なときはいつも「なんとなく」でした。
で、冒頭に戻ります。
ぼくが回想している間に日本酒の徳利が運ばれてきました。思いのほか和やかだった酒の席も、いよいよ佳境の時間です。
ここから先は緊張と酔いで正直よく覚えていません。神山さんが口火を切り、もう一度一緒にやらないか、みたいな話になったと思います。ひとりずつ、ゆっくり賛同し、最後はぼくが話す番となり、いろいろ言いたいことはあったのに全くまとまらなくて、ただただ興奮しながら長時間つかみどころのない話をしていました。あの時間は本当によくわからないテンションでした。まじで反省してます。
あ、でもひとつだけ、はっきり記憶していることがありました。諸々あって、よし、じゃあやろうということになり、そろそろお開きかなというときに、なにかの話の流れで堀が言いました。
「過去の清算とかじゃなくてさ、今おもしろいことをやりたいよね」
あー、そっか。そうだね。その通りだね。
ぼくは頷いて、店を出ました。
ぼくにとってこの二年間は、「くらやみダンス後」の時間でした。
くらやみダンスがなくなった後になにをやるかというテーマを、常に自分に課していました。「巡礼」の期間も、再始動を決めたその瞬間も、かつて自分たちができなかったこと、伝えられなかった言葉、そういうものを意識していました。それはきっと、このまま時間が流れて、ぼくたちの中でくらやみダンスが「不器用だった青春の思い出」として甘ったるく消化されることを恐れていたからだと思います。
いい思い出なんかにはぜったいさせない。拳を握るぼくに対して、しかし、堀や、堀の発言に頷くほかの劇団員たちはもっと純粋な今と、見通せないはずの未来を見ていたようです。たぶん。
みんなと別れた帰りの電車で汗びっしょりな自分の手を見てぼくは、ちょっと残念な気持ちでした。みんなに会ったら本当に軽く、弱めに一発ずつ殴ってやりたいなと思っていたからです。そのあと軽く殴り返してもらって、そういうやつをやろうと本気でシュミレーションしてたんですが……けっきょくできませんでした。
悔しいけど、もしもみんなで見る未来というものが本当にあるのなら、そういうのはあまり傷つけたくないなと思ってしまいました。
くらやみダンスに再び負けた瞬間です。でも今度のはぼくの虚像ではなく、たしかに目の前にある、くっきりとした悪縁でした。それならまあ、仕方ない。
ぼくたちがなにを目指し、なにをおもしろいと思い、なにを正解だと認めるか。まだ答えはまとまっていません。きっとそれぞれがそれぞれに、違う未来をぼんやりと描いているでしょう。
ぼくたちはどうしても違う人間で、違う人間であるということはときどき、どうしようもない齟齬を生むけれど、でも、そんな解り合えなさをちょっと肯定してみた先に、お金でも正義でもない、なんでもないものでなんとなく結集しただけの「劇団」というままならない組織があるのかもしれないと、今ぼくは思います。
これは演劇の教科書の3ページ目に載っていたそうです。頼むから太字で書いといてくれよ。
長々と失礼しました。読んでくださってありがとうございます。
これからも演劇でドキドキし続けるために、もう一度、劇団をやってみようと思います。
脚本も今からがんばって書きます。余談ですが、この前みんなで広報の話し合いをしたときに堀がSNSの機能を使って、くらやみダンスのフォロワーがどんな話題に興味を持っているか分析してくれました。
「それによると、フォロワーが最も多く反応しているトピックは……」
「トピックは?」
「『犬』です」
「い……ぬ……?」
というわけで、次回公演には犬を登場させようと思います。犬好きのみなさん、ぜひご来場ください。
2019年6月
くらやみダンス主宰 岡本セキユ